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09-1 3年間の行動の結論から 「ゴールデンライフの提案」

<写真は本文とは関係ありません>
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 当ブログ「リタイア人生 はつらつ日記」を始めたのは、05年2月1日のことです。05年134件、06年170件、2年間304篇の行動記録の掲載を以って、一度このブログを終了しました(しかし、行動を止めたのでなく、07年は130件、08年は何と230件の行動をしました。この状況は、09年になっても続いています)。
2年間のブログを06年12月で止めたのは、ブログの目的であった「リタイア後の生き方の模索」に一応の結論を得たからです。「ブログ終了のご挨拶」では、その結論を記載しませんでした。
それは、ある「報告書」の提出のために、事前発表が出来なかったからです。
その報告書『高齢者の生きがい対策と人材活性化』(文部科学省私学大学学術研究高度化推進事業 学術フロンティア推進事業/聖徳大学 生涯学習研究所発行)が08年3月に発行され、私論「リタイア後の模索とゴールデンライフの提案」が掲載されましたので、ここにその内容を記載し3年間の行動の結果を報告します。風流閑人:土屋 献一郎

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はじめに
30余年間のサラリーマン生活を終え、あり余る自由時間を謳歌し集中的な行動をして参りました。現役時代には出来なかった事・やりたかった事を、気力と体力のある元気なうちに、出来るだけ多くしておきたいと思ったからです。
その行動はこの3年間で400回を越え、サラリーマン時代は仕事一筋で年間10回の自由な行動もありませんでしたので、現役時代を遥かに超える行動となりました。
リタイア後に計画したほとんどの行動を終え、当初の計画通り元気なうちに今後90歳までの行動をしたことになります。
この集中行動から学んだことは、自らの人生を自らの意思で生きることの大切さです。
自分捜しの集中行動により、自分の人生を主役として生きる重要性を学びました。

ところで、リタイア後3年間の集中行動で、大いなる満足を得たかと申しますと、全くそうではありません。この行動の結果得たものは、思ってもみない世界でした。
以下、この行動による模索からのリタイア後の新しい生き方を提案し、課題「高齢者の生きがい対策と活性化」への私見を述べさせて頂きます。
【注】筆者がサラリーマン・リタイア世代のため、サラリーマン退職後を「リタイア後」と称しましたが、以後、課題から「リタイア後」を「高齢時代」、「リタイア世代」を「高齢世代」と記します。


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第1章 世代間の社会的責任
 自分捜しの集中行動は、高齢時代の生き方を問うものとなりました。
先ず、高齢時代に考えられる様々な活動を幾らしても、決して満足感は得られないと言うことです。
心が求めるままに、次々に行動を起こしても際限ありません。広く浅く行動するより、楽しいことにポイントを絞り徹底的にやることが重要です。楽しいこと、やりたいことの中に、本当の自分が求めているものがあるからです。その追及により、自分の世界が発見できれば最高です。そのことこそ、その人の存在意義だからです。

次にこの集中行動から学んだことは、この行動が現役世代からは遊んでいるとしか思われないと言うことでした。このことは、大変に衝撃的でした。
高齢時代には、やりたかったことが自由気侭に出来る本当の自分の人生が待っていることを実践行動した結果は、遊んでいるとしか見られなかったのです。
当初、若者世代が何故、高齢世代の自由気侭な行動を非難するのか分かりませんでした。
しかし、彼等の立場からすれば、「高齢世代が遊ぶために使っているカネ(年金)は、今俺たちが必死になって納めている俺たちの年金なのだ」と、言う思いがあるようです。
そこには、「高齢世代の社会的責任」を問う厳しい眼差しを感じました。
若者世代が感じている世代間格差の不満が、高齢世代の行動を批判しているようです。そこに、世代間の意思疎通や信頼関係が、今や失われつつあることを感じました。
他世代とのコミュニケーションを深めるために、高齢世代から行動を起こす必要がありそうです。
現役時代には自ら(会社も含めて)の社会的責任は常に認識していましたが、高齢世代となってからは自らの社会的責任については考えたことがありませんでした。
未成年者には社会に出るための準備期間としての学習・勉学が、現役世代には社会を支える原動力としての勤労・養育が社会的責任であるならば、高齢世代の社会的責任とは何でしょうか。
高齢世代か社会的責任を果たした上で行動をするならば、非難を受けることはないでしょう。何の社会的責任も果たさずに、遊んでいては批判を受けるのは当然です。
各世代がそれぞれの社会的使命・役割・責任を果たしてこそ、社会の調和・発展があると言うことを、改めて考えさせられました。
高齢世代も社会的存在であり、社会的責任を果たした上で自由な行動を追及することが求められていることを、若者世代に教えられたのです。


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第2章. 高齢世代の社会的責任
 高齢世代の永い人生の知恵・経験が社会基盤の源泉であり、この役割を通じて今まで高齢世代は社会的責任を果たしてきました。
ところが、情報化時代を迎え高齢世代の過去の知識や経験が役立たなくなり、またITに対応できない高齢世代は社会的存在感すら喪った観があります。更に、今日の社会が日常的な犯罪社会となってしまったことを、戦後社会を築いてきた当時の経済戦士であった今の高齢世代の責任とする見方もあり、現在高齢世代は自信を喪っているように思われます。
しかしながら、社会・文化面における高齢世代の役割は今日も全く変わらず、高齢世代が受継いできた知恵・経験は、今後とも、社会の構築・改善のために非常に重要です。
寧ろ、21世紀の社会の主役は高齢世代にある、と言っても過言でありません。

今日の国際社会は、国家間の経済戦争となっており、益々その熾烈さを増しています。
この現実から逃れることが出来ない以上、現役世代は今後とも厳しい経済活動を求められ、家庭・地域・社会に関わりを持つことはこれまで以上に困難であると思います。
この現役世代が担え切れない家庭・地域・社会への役割を分担することが、高齢世代の新しい役割ではないでしょうか。
高齢世代の叡智と体験を活かした世代間の役割分担は、高齢世代の生きがいと人材活性化となるでしょう。
経済活動は現役世代に任せ、地域・社会活動(文化・環境・福祉・教育面等々)を高齢世代の社会的役割として取組んで行きたいと思っています。
これらの高齢世代の社会的行動が、日本を『文化大国』へと発展させることでしょう。


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第3章  ゴールデンライフの提案
 高齢時代は、人生のゴールデンタイムであり人生本番の時です。
高齢世代として、自由な行動と社会的役割を一致させながら、生きがいに満ちたゴールデンタイムを過ごすことこそ高齢世代の生き方ではないでしょうか。高齢世代の社会的責任を果たしつつ、高齢時代を是非とも真の「ゴールデンライフ」としたいものです。
自己実現と生きがいを両立させ、後世のために尽すことが「ゴールデンライフ」の原点です。
後世のために必要なことは、何よりも心豊かな社会の再生です。この再生は、高齢世代にしか出来ません。しかも、今の高齢世代が、喪われた心の豊かさを取戻.せる最後の世代ではないかと思います。
多くの高齢世代がこの「ゴールデンライフ」に取組むことにより、心豊かな社会の修復・改善が可能であると信じています。
高齢世代の人生本番を、「ゴールデンライフ」行動とすることを提案します。


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おわりに
 「生きがい」も「人材活性化」も、他人から与えられるものではありません。他人から与えられた生きがいには、何の意味もありません。
高齢世代の行動は、社会的行動でなければ自己満足も得られません。その行動は自ら意識し始めるもので、与えられるものでも社会的合意を得るものでもありません。
既に多くの高齢世代が、自然な行動として社会貢献活動を始めています。敢えて高齢世代の社会的責任論を述べましたのは、同世代からの発言が重要であると考えているからです。
更に、高齢世代の自由な行動が、世代間の不満・不信を招いていることを認識し、自覚ある行動が必要です。社会にとって高齢世代の生き方が、如何に重要であるかを痛感しています。社会再生の鍵は、高齢世代の生き方に懸かっています。
日本社会の再生は、高齢世代が生きがいを持って社会的活動を始めた時から始まります。
この高齢世代の行動が、心豊かな日本を創ることでしょう。以 上

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