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昨日は、市内に宿が取れず、隣駅の横瀬の「武甲の湯」に宿泊しました。山間の静かな戸建の宿です。
早朝より穏やかな小春日和となりましたので、のんびりと山越えして秩父の町に出ることにしました。
このため、思ってもみなかった静かな秋の秩父路の散策を、楽しむこととなりました。
<武甲山> 1336mから1304mへ
市内のどこからも望むことの出来る武甲山は、地元の熱き信仰の霊山です。
戦後、その山を削って生活せざるを得なかった地元にとっては、止むを得ないことだったのでしょう。
この結果、山頂は32mを削り取られ、山容も著しく変わりました。
今も、休み無く稼動する工場の煙が、朝靄の中に揺らいでいました。
<秩父路風景>
やがて、陽だまりの中の、冬枯れの田園風景の中に入って行きました。何も無い田んぼの風景にも、何故か心が和みます。
道標に沿って、田園の中の道を行きますと、今も豊かな家並みがあります。
思いも寄らない風景に出合いながら、散策を楽しみました。
<曹洞宗東林禅寺> 秩父七福神恵比寿
静かな里山の高台から東林寺が、竹林を背に秩父路を見下ろしていました。青空の中で、朝日を浴びた寺の風景ものどかで美しい眺めです。
石段を上った境内からの展望も、紅葉の彩りの中に秩父連山が横たわり、これまた美しい眺めでした。
秩父路の穏やかな風景の中を、ゆっくりと行きます。
<宇根八坂神社> 天王様
1846(弘化3)年の小社(町指定有形文化財<彫刻>)が、木組の中に鎮座していました。彫刻は三国志や鳥獣が深く刻まれ、かなりの文化財のようです。
4月例大祭の付祭には、「宇根の山車」(町指定有形文化財)が奉曳されるとのことです。何気なく、素晴らしい文化財が公園の片隅に安置されています。
<思いやりの木> 大山祗神社
鬱蒼とした森の中の斜面に、栂と桧が合体して大木となった木がありました。
この木は、ご神木となり神社が建てられ、「思いやりの木」の伝説が創られ、夫婦円満・縁結びのご利益が語り継がれています。
日本人の自然への畏敬・木に対する崇拝の念が、素朴に現れたものと言えます。
異種の木の合体は、「林試の森」の講義(NO.155)で、何の不思議でもないことは既に学んだところです。
<羊山公園・芝桜の丘>
4月には丘一面が芝桜で覆われるとのことですが、今は本物の桜(冬桜?・狂い咲き?)が咲き始めていました。

羊山公園と芝桜の丘は、横瀬町と秩父市の間に連なる丘陵地帯です。
昨日の花火打上場所である羊山公園は、素晴らしい市内の展望台でした。
<武甲山資料館>
喪われつつある武甲山の自然を残すために、採掘企業3社の寄付により造られた資料館です。昭和35年頃と平成10年の写真の対比が印象的でした。
如何に武甲山が自然溢れる山塊であるかを知りましたが、寧ろ石灰岩分布の地質構造図に関心を持ちました。
これ以上の山容の変化は無いとのことですが、一度登る必要がありそうです。
<牧水の滝>
大正年間に数回も秩父を訪れた若山牧水を偲び、羊山公園の中腹に牧水の歌碑と池・滝を配した牧水公園があります。
歌碑には、「秩父町 出はづれ来れば 機をりの うた声つづく 古りし家並みに」とありました。
<浄土宗 光台山惣園寺> 秩父七福神弁財天
やや異風な本堂の佇まいに惹かれて立寄りました。開祖は法然上人。
江戸時代には、「時の鐘」の役を務めた由緒ある寺。秩父絹市や秩父夜祭等の合図となっていたとのことです。
<知知夫神社> 秩父神社
武蔵国四宮、今年より知知夫国新一の宮に認定。
昨日は、祭礼で近づくことも出来ませんでしたので、改めて参拝しました。昨日とは打って変わって、祭りの後の静かなお参りが出来ました。
権現造本殿は、1592(天正20)年家康寄進の由。埼玉県有形文化財。四方に彫られた極彩色の彫刻が美しい社殿です。
特に、「お元気三猿」に共感です。通常の三猿の「見ザル・言わザル・聞かザル」ではなく、当社三猿は「よく見・よく聞き・よく話そう」ザルなのです。
かくして目的の秩父神社まで、半日を掛けた旅となりました。参拝を終えた頃には、夕刻の特急の時間が迫っていました。
蔵元の杯で残りの地酒を酌み交わしつつ、秩父の余韻に酔いながら帰路に着きました(06.12.04)。
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