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06-138 仏像展

061381特別展「一木にこめられた祈り 仏像」(東京国立博物館 ~12月3日迄)を見学。
国宝・重文45体を含む146体の仏像を、一堂に見ることが出来ます。
寄木造ではなく、全てが一本の木材から仏像を彫り出す一木彫の仏像であり、木に対する畏敬の念(神木・霊木)と神仏が一体となった先人の思いと緊張感が迫ってきました。
ご神木から彫られた仏像には、荘厳で神秘的な思いに打たれました。

061382多くの仏像が集められていますので、初めて見る仏像ばかりです。
鉈彫の不思議な仏像を知りました。鉈彫とは、表面にノミ目を留める一木彫です。関東・東北地方に多く、間もなく仏が現れる瞬間を現しているとのことです。
木の存在感を生かすことに重点がおかれ、美観は全く考慮されていません。
そのせいか、鉈彫りの阿弥陀如来像はないと言うことです。

061383鎌倉時代以降、寄木造が主流となり一木彫は少なくなります。
そのような中で江戸時代、木像を彫りながら全国を歩いた円空と木喰の素朴な仏像は、今までの仏像に対する思いを全く変えるものでした。
円空は、立木や流木あるいは廃材に、ほとんど手を加えず顔のみを刻んだものさえあります。彩色・金箔も、ほとんど施しません。

061384一方、木喰の丸味を帯びたユーモラスな仏像は、精緻で美しい表面で覆われています。
一本のイチョウの木から33体の観音菩薩坐像と菩薩立像・大黒天像計35体を彫り出したものもあり、一木に込めた思いを感じました。

061385特に木喰は、壱千体の仏像を発願し、60歳を過ぎてから一木彫に取組み、90歳にして完成しています。正に、リタイア人生の手本であると思いました(06.10.26)。


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06-137 青木が原の清掃

061371富士山麓・青木が原の清掃に参加しました。富士山クリーン作戦の一環で、昨年に引き続き損保会社の社会貢献活動への特別参加です。
8月の富士登山の後だけに、気持の入ったゴミ拾いとなりました。

061372今回の清掃場所は、計画倒れとなった別荘予定地と思われる一角です。
最近は、規制や監視が厳しくなったので投棄はないようですが、建築廃材のゴミ捨て場のようなところです。
最初は夏草が茂り気付きませんでしたが、雑草を取除くとトタンや樹脂類が大量に埋もれていました。

061373本来は機械を使って運び出すものでしょうが、手作業で一つ一つ分別しながら拾いました。既に月初に、当損保会社100人余で清掃をしたところですが、今回は更に200人余で取組みました。
1.5トン近くを収集しましたが、これでも未だ一部に過ぎません。

061375支援NPOの富士山クラブの活動には、何時もながら頭が下がります。
日常の監視・清掃活動に加え、外部参加者の支援・指導。収集したゴミの分別・積込・運搬とかなりの重労働です。
今年は、総計約38トンのゴミを回収したとのことです。
彼らの無償で地道な活動により、何時の日にか富士山が世界遺産になる日が来ることをでしょう(06.10.22)。


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06-136 柴又を訪ねる

061361 「渥美清の寅さん」ですっかり有名になった柴又ですが、改めてゆっくりと訪ねてみますと、意外と知らない「帝釈天」がありました。

061362帝釈天を祀る経栄山題経寺(日蓮宗)は、1629年開基の古刹(千葉県中山法華経寺の門末)です。
仲見世を通り参道を行きますと、日光東照宮の陽明門を模したと言われる総欅作りの二天門が現れます。先ず、この重厚優美な美しさに圧倒されました。
二天門を守る増長天(右側)と広目天(左側)は、奈良大安寺にあった奈良時代の造像です。門は、多くの彫刻で飾られています。

061363本堂の帝釈堂には、日蓮聖人御親刻の板本尊が安置されています。
総欅造りの帝釈堂・喜見域の周囲は、法華経説話に基づく巨大な彫刻絵巻が施されています。ガラス張りで覆われた彫刻ギャラリーとなっており、身近に見ることが出来ます。大正末期から昭和初期に彫られたものですが、見応えのある彫刻群像です。

061364邃渓園と大客殿では、喧騒から離れた静かな雰囲気を味わうことが出来ます。
大客殿は粋を極めた総檜造りで、書院には法華経絵巻の原型彫刻が飾られています。
屏風絵や大南天の床柱も必見です。
大客殿は平成14年、東京都選定歴史的建造物の指定を受けました。
庭園を廻る大回廊から、邃渓園と大客殿をあらゆる角度から鑑賞することが出来ます。

061365柴又には、「帝釈天」ばかりでなく遺跡や古戦場としても関心があります。
柴又八幡神社や帝釈天の周辺では、多くの遺跡が発掘されています。
八幡神社では6世紀後半の古墳が発掘され、多くの出土品が採集されています。
また、江戸川を挟む対岸の国府台は、2度にわたる国府台合戦が行われた激戦地です。
山本邸や寅さん記念館を見学し、終日を柴又で過ごしました(06.10.14)。


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06-135 葛飾曳舟親水公園

061351葛飾お花茶屋駅と亀有駅にかけて、曳舟親水公園があります。
東京の各所にある親水公園の大半が、暗渠か緑道になっているのはどういう訳でしょうか。安全と清掃の管理面からとすれば、悲しむべき発想です。
残念ながら、葛飾曳舟親水公園も遊歩道となっていました。

061352曳舟川は、1659(万治2)年、今の埼玉越谷から本所・深川方面に飲料水を送るために開削された亀有上水(又は本所上水・小梅上水とも言う)です。
1722(享和7)年に上水廃止。埋め立てられず残された上流部が、輸送用水路として利用されるようになりました。

061353篠原村(現四つ木)から亀有村旧水戸街道までの約3Kmを、土手の上から縄で小舟(サッパコ)を引いたことから「曳舟川」と呼ばれるようになりました。
帝釈天や水戸街道への通り道として、江戸郊外の風物詩となっていました。

Dscn0770また、この周辺は、江戸時代は将軍の鷹狩の場でした(将軍家の江戸の鷹場は、葛西・岩淵・戸田・中野・目黒・品川筋の6ヶ所)。地名の「白鳥」はハクチョウ飛来の地を表しています。今は鷹狩のブロンズ像に、その歴史を残すだけです。

061355この曳舟親水公園の中心に、葛飾区の郷土博物館(「郷土と天文の博物館」)があります。その豪華さに驚きましたが、内容も大変充実したものです。
訪問目的の「葛西城」(06-117を参照)の展示・解説に満足しました。
「葛西城」が単なる文献資料でなく、遺構や出土品の豊富さから実証的な大変貴重な史蹟である事を知りました(06.10.14)。


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06-134 鹿沼ぶっつけ祭り

1341鹿沼今宮神社の「ぶっつけ」秋祭りを見学。
400年の歴史を持つ、国指定重要無形民俗文化財(平成15年指定)だけに、盛大な祭です。何よりも、彫刻屋台の豪華絢爛振りに驚きました。
27台のうち、14台(うち13台は江戸時代のもの)が市指定文化財、正に骨董的芸術品です。

1342屋台とは、元は屋根の付いた移動できる舞台で「踊り屋台」と呼ばれていました。その後、屋台の内部は踊り場と内室に区分され、内室に囃子方が入るようになり、舞台は狭くなりました。形は箱型で、全面が贅を凝らした彫刻で飾られています。

1343「ぶっつけ」は、複数の屋台が向かい合ってお囃子の競演をするもので、囃子手の腕の見せ所であり祭が一番盛り上がるところです。
多い場所では、7台の屋台が集まりますので、大変な賑わいとなります。2日間に、10ヶ所以上で「ぶっつけ」が行われます。

1344この他、今宮神社への屋台繰込・繰出、屋台・万灯行列等の祭イベントがあり、街は2日間にわたり祭一色となります。


1345突然の祭見物のため、準備不足で残念ながら全貌を十分に理解することが出来ませんでした。
2年後の大祭には、たっぷり時間を取り、再訪することを今宮神社に誓い、最終電で新鹿沼駅を離れました(06.10.15)。


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06-133 茂木かたくり沢棚田の稲刈(田んぼ活動報告20)

1331田んぼ活動の今年最後の作業に参加しました。
2年前から復原に取組んでいる、栃木県茂木の「かたくり沢棚田」の稲刈です。
山あいの棚田だけに、どうしても稲の生育が遅れます。
草取りで苦労したこともあり、立派に育った稲の姿を見て感激しました。

1332取組2年目だけに、稲のための環境は未だ十分に整っていません。
生きものいっぱいの<冬・水・田んぼ>の復活には、時間がかかります。
田んぼの中の自然が戻り、生態系の循環が始まらなければなりません。
自然を回復するには、時間が必要です。
気長に取組んで行くしかありません。

1333手刈りによる棚田の稲刈は、応援部隊のお蔭で昼過ぎには終わりました。
山林に囲まれた棚田で食べる、新米のオニギリと豚汁の昼食は最高です。
農作業は皆で力を合わせて、楽しくやることが重要です。
このような楽しい農業の協働作業こそ、今、取戻したい日本の田園風景です。
綺麗に稲刈が済み、ウマガケされた棚田を見ていますと、半年間の想い出とやり終えた充実感で一杯となります。

1334これで、一年間に亘る「田んぼ活動」は、取敢えず一段落です。
この後も、脱穀・精米、田んぼ整備があり、年が明ければ苗作りもあります。
コメ作りに終わりはありませんが、来年の初夏の田植まで、田んぼ作業はお休みとなります。
一緒に田んぼ作業をお手伝い頂きました皆様に、感謝と御礼を申上げます。
ではまた、来年お会いする日を楽しみにしています(06.10.15)。


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06-132 佐原の秋祭り

061328_1今年も、佐原の秋祭りにやってきました(従いまして、昨年の05-106の続編です)。
国の重要無形民俗文化財の指定(平成16年)を受け、更には関東3大山車祭(秩父・川越・佐原)と喧伝されて、益々盛んになって来ているようです。
終日、市内は観光客で賑わっていました。

061322佐原の祭りは、江戸情緒溢れる素朴な祭りです。
地区の山車は、その地区の老若男女全員で牽きます。
夜になると、灯が点された山車が、列をなして街中を行き交います。
柳が植えられた小野川沿いの道を、川面に灯を映しながら山車は静々と進みます。

061323そんな風景を二階座敷の欄干にもたれながら眺めていますと、思いは何時しか江戸時代へと引き込まれて行きます。
素朴な祭りの中に、300年間、受け継がれて来た熱い思いに打たれます。
江戸時代の、今より遥かに心豊かな生活が、偲ばれて来ます。

061324遠くに聞こえる祭囃子を聞きながら、地酒を酌み交わし再会を祝しました。
やがて山車は対岸を廻り、川に面した古い木下旅館の前にやってきます。
二階の欄干ギリギリに通り過ぎる山車が、目の前をゆっくりと行きます。
祭の最高の雰囲気に感激し、旅情はいよいよ高まりました(06.10.14)。


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06-131 佐原田んぼの「生きもの調査」(田んぼ活動報告19)

061319田んぼの「生き物調査」は、生きものいっぱいの田んぼを目指している<冬・水・田んぼ>では欠かせません。
各地の田んぼで定例的に定点観測を続けています。
この観察から、田んぼの自然回復度合と土壌改善状況が関連していることが明らかとなってきました。

061312年内最後の佐原の「生き物調査」に参加しました。
当地区でも何ヶ所かの田んぼを調査しましたが、農法により自然回復の度合は全く異なります。農薬の使用状況は、土壌に歴然と現われます。
土壌のトロトロ層等の状況から、田んぼの状態が良く分かると言うことです。

061313指標にしているイトミミズが、多ければ多いほど良いのかと言えば、必ずしもそう考えているわけではありません。田んぼの中で、小規模な食物連鎖の循環が行われ、多様な生物の生命が育まれなければ意味がありません。
一種類の生きものだけが繁殖することを、生きものいっぱいとは考えていません。

<実を付けたヒコバイ>
061314喪われた生態系を復活するのは、並み大抵ではありません。
断ち切られた循環を取戻さない限り、自然の中に生きものは戻って来ません。
小さな田んぼの中の循環ですら、取戻すことは困難です。
しかし、そのことは不可能ではないと考えています(06.10.14)。


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06-130 椋神社「龍勢祭り」

061301秩父の椋神社「例大祭」の付祭りとして、「龍勢」が奉納されます。
「龍勢」とは、白煙を挙げて舞い上がる巨大なロケット花火です。
ごう音を発して、300~500mの上空に打ち上げられる煙火は、正に龍が昇天する姿のようでした。

061302「龍勢祭り」は数百年の歴史があり、埼玉県無形民俗文化財に指定されている祭礼で、「龍勢」の作り方には30余の流派があるとのことです。
光を飛ばす神事が、火薬の発明により戦国の狼煙の技術と結び、今日の奇祭となったようです。

061303午前9時から15分毎に、夕方まで35発の「龍勢」が奉納されました。
打上前、五色の布で化粧された20m余の青竹に括り付けられた火薬筒は、ハッピ姿の担ぎ手により会場を練歩き、お披露目されます。
打上櫓に据えられると、朗々たる口上があり、点火となります。

061304晴れ渡った秋空の下で、酒・飲食を楽しみながら、発射を待ちます。
成功するのは7割程度ですので、打上の度に期待が高まります。
台風の余波もあり、先端から飛び出した落下傘が、次々点火される五色の煙と共に流れて行きます。

0613051884(明治17)年の秩父事件は、この椋神社での困民党の武装蜂起から始まりました。
この事件を扱った映画「草の乱」のセットが、秩父事件資料館として隣接の道の駅「龍勢会館」の中にあります。
この資料館見学も、今日の目的でした(06.10.08)。


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06-129 八王子「絹の道」を歩く

061290今では、絹が日本の中心的産業であったことも忘れられています。
八王子の「絹の道」を歩き、多くの絹の史跡に出会い、改めて絹の歴史に触れて、絹の華やかなりし時代を知りました。

<絹の道> 市指定史跡
061291kinunomichi昔のままの1Km程の街道が、「絹の道」として文化庁の「歴史の道百選」として保存されています。

<鎌倉街道>
061292kyukamakurakaidoアイヌ居住の痕跡のある「鑓水板木の杜」の山側の尾根道は、旧鎌倉街道です。相模から甲州・秩父へ通じる重要な街道でした。僅かな距離ですが、山道が残されています。

<小泉屋敷> 東京都指定文化財
061293茅葺の入母屋造りの小泉家屋敷は、当時の典型的な養蚕農家で、現在も住宅として使用されています。
1878(明治11)年に再建、母屋・土蔵・納屋・堆肥舎・薪小屋・稲荷社などがそのままに残されています。

<永泉寺>
061294eisenji甲斐武田一族永野和泉(信玄の叔父?)が、党族争いの醜さから当地に移住し築いた高雲山永泉庵が開創(1555年:弘治元年)。本堂は明治18年焼失したため、鑓水絹商人八木下要右衛門の母屋の寄進を受け移築したものです。。
芭蕉堂・芭蕉句碑があり、俳句が盛んであったことを示しています。

<諏訪神社>
061295suwajinjya諏訪神社社殿の「子の権現旧本殿(江戸中期)」・「子の権現本殿(寛政4年)」・「諏訪神社本殿(寛政10年)」・「八幡神社本殿(明治18年)」の4社が市指定有形文化財。本殿の建立は、鑓水商人の財力を表しています。

<絹の道資料館>
061296kinunomichishiryokan鑓水絹商人八木下要右衛門の屋敷跡に、本宅は永泉寺本堂に寄進したため、復元し資料館としたもの。1990(平成2)年3月開館。鑓水商人の出現から、衰退に至るするまでの資料や養蚕道具を展示しています。

<道了堂跡:大塚山公園>
061297douryodoato1874(明治7)年、鑓水絹商人大塚氏等により創建。旅人や村内の安全のために展望の良い峠の上に建てられ、地元の信仰を集めていました。その後、荒廃し堂が倒壊したため撤去、礎石・碑文が残るだけです。絹商人の衰退を表しています。

<白山神社>
061298hakusanjinjya平安時代に弁慶血縁の弁智が、法華経を奉納した関東7社の一つとの伝承。
1590(天正18)年、豊臣・北条軍の戦いで焼失。慶長18年再建し、今日に至る。
文政9年、社殿裏の塚より法華経10巻を発見、その奥書に1154(仁平4)年の記載があり、伝承を裏付るものと考古学的価値が評価されています。

<八王子の里山>
061299satoyama八王子の周辺には、美しい里山が残されています。武蔵野の雑木林とは異なる、ミドリ溢れる心の癒される山村風景です。この里山風景には、心が和みました。
東京とは思えない、日本の自然豊かな風景が広がっていました。

0612995dscn0194しかしながら、この道を出ると眼前に現れたのは、現実の東京の景色でした。
この風景を21世紀の日本の原風景として残して行くべきなのか、考えさせられました。

<首都大学東京>
0612910syutodaigaku東京都立大学・首都大学東京は、多摩丘陵の中の自然の中にありました。渓谷や神社を構内に残していますが、モダン建築との違和感は否めません。
0612911dscn0249大学に通じる南大沢駅周辺は、すっかり多摩地区の斬新な東京の姿が定着していました。
リゾートのアミューズメント広場となっているのに驚きました。
いろいろな東京の風景に触れた一日でした(06.10.07)。


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06-128 東京の中世城跡巡り(4) 八王子城跡

061280国指定史跡の八王子城跡を訪れました。
東京の中世城跡巡りを始めるに当たり、最も気になっていた城跡です。
東京に残る本格的な中世の山城跡であり、開市400年を記念して構築された復元工事も素晴らしく、見応えのある城跡でした。

<城史>
0612890北条氏照が、16世紀後半に築城 。
1590(天正18)年、城主氏照は秀吉の北条討伐に抗ずべく、小田原城に籠城。同年6月23日、その留守を衝かれ、城主の居ない城は半日にて落城。婦女子を含め城兵3千人の内半数が殺害された、凄惨な戦いであったと言われています。
翌7月、小田原城は開城し、4代氏政と氏照は切腹。北条氏が滅亡します。

<八王子城跡> 国指定史跡
0612891氏照の居城として、周辺に多くの支城を持つ広大な山城でした。落城後、家康の領地となり、江戸時代は幕府直轄地として立入禁止とされたため、幸運にもその遺構がそのまま残されて来ました。
061282周辺はほとんど調査がされていないため「土地現状変更禁止」で、その警告板がやたらにあります。

<北条氏照および家臣墓> 都旧跡
061283山麓の山中にひっそりと氏照と家臣の供養塔があります。氏照百回忌に建立されたもので、家臣は落城の際討死した中山家範と孫の信治です。

<八王子城址歴史資料館>
061284山麓の集落は、八王子城の城下町でした。この根小屋地区の中に、武士末裔の方が遺品を収集・展示している個人資料館があります。
思わぬ歴史的遺品に触れたり、末裔の方の話を聞くのは、現在が過去の繋がりであることを学ぶ楽しい一時です。

<管理棟前の解説>
061285史跡管理棟前のタイル焼きの解説板は、見学者に好評です。解説・地図も詳細・親切であり、清掃も行届き何よりも字が鮮明でデジカメ撮影に最適です。
更に、管理人の説明も懇切明瞭であり、国の史跡らしさを感じました。

<本丸登山口>
061286本丸には、八王子神社が祀られており、登山口にその山門があります。

<八王子神社>
061287山上は八王子神社の境内で、本殿(この建物は、本殿の蔽いです)・神楽殿があります。高尾山他の展望台となっています。

<本丸>
061288本丸は、本殿の裏から更に登ったところにあります。山門から本丸までは、ほとんど山道で、本格的山城の奥深さを感じました。
途中に金子丸や柵門跡があり、山頂の曲輪で囲まれた中に本丸があります。本丸は、戦いの時に立て篭もるところです。
本丸跡は、碑とお堂があり百坪ほどの平地となっています。

<御主殿跡>
0612895通常は、麓の居住地区で生活をしています。城山川を登った御主殿跡は、林に囲まれた広大な芝生地となっていました。多くの石垣が残り、曳橋を渡った山中に突如広がる御主殿跡に驚きました。

さすがに、この広大な八王子城跡は一回では、とても全貌を理解することは出来ません。
次回は、古城巡りが一段落した快晴の日に、たっぷり時間を取って再訪する予定です(06.10.01)。

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06-127 神田界隈を歩く

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06-126 半島を歩く

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06-125 早稲田地球感謝祭2006

061251早稲田大学&地元商店会主催の「早稲田地球感謝祭」に参加。
防災・防犯・環境をテーマに、学生と地元商店・地方の関係団体が、展示・即売を行いました。
警察・消防の行政も参加、地域と学生の素晴らしいコラボレーションは、今後の新しい大学祭のモデルとなるものと思われました。

061252環境NPOとしての参加です。
田んぼ環境の改善から、日本の自然環境を回復しようというメッセージは、新鮮な驚きと共に、多くの賛同を得ることが出来たように思いました。
061254多くの反応から、田んぼ実践活動ばかりでなくこのような場でのPRの必要性を感じました。

061253また、参加者同士の連携も出来ました。
異なる取組のグループでも、連携により新しい輪が広がります。
いろいろな出合いから、本格的なネットワークが出来ることを期待しています。
来年は、更に一歩前進した取組となることでしょう(06.09.23)。

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