赤羽「稲付城址」から、王子「名主の滝公園」までを歩いてきました。
住宅地の中ですが、高台の木々が生繁っているところを目指して歩いて行くと、次々に目的の場が現れて来ます。
かつては山と谷が入組んだ、街道沿いの山村だったのでしょう、歴史を刻んだ高台の寺社が住宅地の中にミドリのオアシスとしてそのまま残されています。
当時の地形を考えたり、街道風景を想像7したり、楽しい散策でした。
主だったところを紹介します。
<稲付城址>東京都指定文化財(旧跡)
赤羽駅南口をでますと、イトーヨーカ堂の左肩に木々の塊が見えます。その一帯が稲付城址です。太田道潅が築いた戦国の山城です。江戸城と岩槻城を結ぶ岩槻街道の中継地として築かれたものです。この地点は、鎌倉時代には岩淵宿が、室町時代には関所が設けられ、昔より交通の要所でした。
目的地の稲付城址から、今回の散策を始めました。
<静勝寺>
稲付城の跡地に建てられたのが、静勝寺です。
境内の道潅堂には道潅の木造坐像(北区指定有形文化財[歴史資料])が安置してあります。厨子内に像高44・5cm、桧の寄木造の剃髪姿の道潅が左膝を立てて畳座に坐しているとの事です。毎月26日に開扉。
昭和62年の寺南側の発掘調査で、空堀が確認されたとの事ですが、どの辺りか知ることが出来ませんでした。
<普門院>
普門院の山門は、一風変わった山門(1307[徳治2]年創建)です。
この中国風の鐘楼門とインドブッダガヤ風の仏塔(共同墓地)が、不思議な雰囲気をかもし出しています。
<法真寺>
新しい山門が不釣合いですが、一歩山門を入りますと鐘楼・本堂が鬱蒼とした林の中にヒッソリと佇んでいました。
<香取神社>
法真寺と並んでいますが、階段を避けたため思わぬ遠回りをさせられました。
8・9日には、例大祭(神輿渡御)が賑やかに挙行されるとのことです。
<鳳生寺>
大田道潅開基の古刹。本尊釈迦牟尼佛・右脇侍文殊菩薩・左脇侍普賢菩薩。
森の中の本堂では激しいセミの喧騒に、とても現代東京とは思えぬ、遠い中世江戸村に入り込んだ思いにさせられました。
<稲付公園>
鳳生寺と地続きの稲付公園は、講談社創立者野間清治氏の旧別邸跡地。野間氏の名は、公園前の坂に残されています。
ミドリ豊かな園内には、高齢者・区民の集会所があり憩いの場となっています。
<清水坂公園>
北区景観100選。北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した山間の渓流と芝生の広大な公園(約4500㎡)です。田んぼ(43㎡)のある「自然ふれあい情報館」があります。稲刈は10月上旬の予定の由。
<十条富士塚>
古墳(推定)を利用して造られた富士塚。塚上には、ご神体を祀る祭壇がある立派な富士塚です。周囲には30数基の石碑があり、古いものは天保年間(1840年)のものがあります。現在も、6月末・7月1日に大祭が行われているとのことです。北区指定有形民俗文化財。
<地福寺>
ハンセン氏病に尽くした大正天皇妃貞明皇后像・東京大空襲(王子被災)の碑を始め「千年の松(「新編江戸志」所載)」「地蔵尊」「茶垣の参道」等、初めて聞く話ばかりです。貞明皇后・郷土の語り部「椎の木」の話に感動しました。
<名主の滝公園>
嘉永年間(1848~54)に、王子村名主畑野孫八が自邸に造った庭園。台地の斜面に切り開いた自然溢れる景観は、そのまま現在に残されています。王子7滝の唯一残る滝として有名な滝ですが、残念ながら本日は流れていませんでした。
鬱蒼と繁る回廊式の庭園は、深山幽谷の風情が漂っていました。
<王子稲荷神社>
落語「王子の狐」の舞台として知られ、境内には狐の石像が多い。
毎年2月の午(うま)の日には、凧市が開かれ、多くの露店が並び賑わいます(06.09.07)。
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